学校のあゆみ

更新日:2019年05月29日

明治6年(1873年)

創立第33番小学校

明治8年(1875年)

谷川小学校と改称

明治20年(1887年)

谷川尋常小学校と改称 1250番地に校舎新築

明治39年(1906年)

谷川尋常高等小学校と改称

昭和9年(1934年)

室戸台風のため、一部校舎倒壊、一部仮校舎

昭和16年(1941年)

谷川国民学校と改称

昭和22年(1947年)

多奈川町立小学校と改称。高等児童は、多奈川中学校へ

昭和26年(1951年)

校歌制定

昭和30年(1955年)

町村合併により、岬町立多奈川小学校と改称

昭和41年(1966年)

西畑:東畑分校廃止して、本校と合併

昭和48年(1973年)

創立100周年。

昭和55年(1980年)

現在地に新校舎落成、移転。

昭和56年(1981年)

プラネタリウム完成。

昭和61年(1986年)

小島分校廃止。本校と合併

平成元年(1989年)

新校舎移転10周年事業

平成11年(1999年)

新校舎移転20周年事業。

平成15年(2003年)

創立130年事業。

平成21年(2009年)

新校舎移転30周年事業

芝生植栽

平成24年(2012年)

多奈川保育所併設

平成25年(2013年)

創立140周年事業

平成30年(2018年)

普通教室にエアコンを設置

歴史

谷川港は天然の良港であったので、言い伝えによると、古くは豊臣秀吉が朝鮮出兵の時この港から出帆したとか、江戸時代の参勤交代に四国からの大名が本陣をはったと言われ、地名にも「豊国崎」がつけられていたり、「淡路屋」「阿波屋」「土佐屋」といった屋号が残っています。また、盆踊りの音頭にも「浄瑠璃」の節が唄われるなど、海路での交通の要所であり繁華街であったことが伺われます。

 この地域は、質のよい粘土が産出されたことから、戦前までは「瓦産業」が盛んで、村中の人々が何らかの形で従事していました・・・土を掘る職人、運ぶ船や牛車を引く人、粘土を素足で練る人、形成する腕のよい職人、瓦を乾燥させるために並べる子どもや女たち、だるま窯での“焼き"では夜中じっと火の色を見る親方、最後に松葉をくべていぶし、まさに“いぶし銀"の極上の瓦が出来上がります。窯出しの時、まだ冷え切らない窯に入って瓦と瓦の間に挟んだ”セン"拾いは、「すばい坊主」と呼ばれる子どもの仕事でした。平瓦は、5枚一組を縄で縛られ、谷川港から船で全国へと運ばれました。船に瓦を積み込む時、5枚一組に対して1枚の札(竹製の細長いヘラ)をかごの中にポンポン投げ入れて数を数えました。つまり、札の数が幾つあるかで瓦の総数が分かる仕組みになっていたそうです。

3階郷土資料室には、迫力ある鬼瓦などが展示されています。

粘土で作られた3階郷土資料室にある、迫力ある鬼瓦。

 本校は、昭和55年現在地に移転するまで、入港許可証(札)を発行していた船着き場の近くに建っていたことや、数を数えるために竹製のヘラ(札)を用いていたことから、『ふだば(札場)の学校』と呼ばれていました。戦後、瓦産業が衰退の一途をたどる中で、学校移転の折、地域の人たちは何とか『瓦の歴史』を子どもたちに残したいという思いがありました。瓦や窯そのものは残せないが、瓦船が航海時に星空見上げて舵を取ったことから、プラネタリウムを設置してくれました。今では、季節ごとに開かれる校内の天文教室はもちろんのこと、町内の保育所・幼稚園、町主催の天文教室にも活用されています。

町内の保育所・幼稚園、町主催の天文教室にも活用されている、冷暖房完備の50人用のプラネタリウムの写真

プラネタリウムは、冷暖房完備・50人用の座席があります。

 

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局 多奈川小学校
大阪府泉南郡岬町多奈川谷川1624
電話:072-495-5028